博光丸は蟹を獲り、缶詰に加工する蟹工船。そこで働くのは出稼ぎ労働者など社会の底辺で生きる人々。彼らは、人を人とも思わない作業監督の浅川のもと、暴力と不衛生が横行する劣悪(れつあく)な環境の中で安い賃金で扱き使われている。ある日、とうとう死人が出た。浅川は葬儀に来ようともせず、遺体を海に捨てさせる。これを機に労働者のストライキが始まった。それは成功したかに見えたが、帝国海軍の駆逐艦(くちくかん)によりストライキの首謀者は捕らえられ、労働者は本当の敵は浅川ではなく資本者だと知るのだった。
社会主義の思想が国家の体制にまで及んだ時代、その思想を背景にした文学も生まれた。これがプロレタリア文学。その筆頭(ふでがしら)である小林多喜二(こばやし たきじ)の代表作が『蟹工船』だ。志賀直哉(しが なおや)はこの作品を絶賛する一方で、思想があまり前に出すぎると文学性は低くなる、と小林多喜二に手紙で注意した。さすが志賀直哉先生といったところだ。この作品で一番いいと思うのは、一人ひとりの叫びが重なって、ひとつの勢いになるところ。日本の小説は、個人の内面を掘り下げる私小説は多いが、こういった演劇のような集団的な叫びの文学は少ない。ちなみに、ある番組で桑田佳祐(くわた けいすけ)さんがこれを曲に乗せて歌ったのだが、叫びの文学は音楽によく合うものだ。
蟹工船 小林多喜二
「俺たちには、俺たちしか味方が無えんだ」
それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んでいった。ーー「今に見ろ!」
しかし、「今に見ろ」を百遍繰り返してそれがなんになるか。ストライキが惨めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」とばかりに過酷になった。それは今までの過酷にもう一つさらに加えられた監督の復仇的な過酷さだった。限度というものの一番極端を越えていた。今ではもう仕事は堪え難いところまで行っていた。
林少华 译
“我们能靠的,只有我们自己!”
如今这句话已经深深渗入大家的心底、心底的心底。“走着瞧!”
问题是,就算把“走着瞧”重复一百遍,又顶什么用呢!罢工惨败之后,劳动更残酷了,像是要告诉渔工“畜生,知道滋味了吧!”比以往变本加厉的是监工的报复式虐待。现在,劳动早已越过了限度那东西的极限,到了不堪忍受的地步。
「ーー間違っていた。ああやって、9人なら9人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺たちの急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺たち全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打ってなかったろう。まさか、俺たち全部を引き渡してしまうなんてこと、できないからな。仕事が、できなくなるもの」
「そうだな」
「そうだよ、今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺たち本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボることだ。この前と同じ手で。吃りが言ったでないか、何より力を合わせることだって。それに、力を合わせたらどんなことができたか、ということも分かっているはずだ。
林少华 译
“错了,不该那么把那九个人推倒前面。那岂不等于告诉人家咱们的要害在这里吗!要是表示全是我们一起干的就好了。那一来,监工就没法往驱逐舰发电报了。总不至于把咱们全部交出带走吧?活没人干了嘛!”
“是啊!”
“是的。就这么干下去,这回可真要死在他们手里了!为了不出牺牲品,得一起磨洋工才行,就用上次那手。结巴不是说了吗,拧成一股绳比什么都要紧。拧成一股绳能办到什么这点也该明白了。”
「それでももし駆逐艦を呼んだら、皆でーーこの時こそ力を合わせて1人も残らず引き渡されよう!そのほうがかえって助かるんだ」
「んかも知らない。しかし、考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一慌てるよ、会社の手前。代わりを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならないほど少ないし。……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だってびくびくしていないしな。皆、畜生!って気でいる」
「本当のことを云えば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。ーー死ぬか生きるか、だからな」
「ん、もう1回だ!」
そして、彼らは立ち上がった。ーーもう1度!
林少华 译
“假如还把驱逐舰叫来,这回可要齐心合力,一个不剩地由他交出去!那样反倒谢天谢地。”
“有可能。不过细想起来,果真那样,第一个狼狈的是监工,公司那边不好交代。从函馆找人替他太迟了,产量又少得提不起来……弄得好,这个办法倒行得通。”
“行得通!再说也怪,谁都不战战兢兢了,谁都想骂一句‘畜生’!”
“说实话,下一步的成败利钝,怎么都无所谓了,是死是活反正豁出去了。”
“好,再来一次!”
他们站起来了——再来一次!